瓦、鬼瓦、そして三州瓦。

瓦は粘土を成形し乾燥させた後に、1000℃以上の高温で焼成した陶器(焼き物)です。

1400年程前に仏教とともに大陸から伝来したため、初期の瓦には「蓮華紋」などの仏教的な装飾が見られます。瓦の歴史には謎の部分も多くありますが、この装飾が獣面になり、鬼面になり、魔除けの意味を持つようになります。戦国時代に入ると、城や砦は戦の武器でもあったため、瓦も短期間で造られることが求められました。そのため、鬼瓦は厚みがなくなり、装飾は簡素なものへと変化します。しかし、武将にとっては「家紋」が非常に重要であったため、この頃の鬼瓦は薄く、簡素なデザインでありながら、家紋を大きく配置した特徴があります。

そして江戸時代という太平の世に入ると、それまで寺院や城郭に用いられていた瓦が一般民家に広まります。一般民家では、鬼面を用いると「お隣さんを睨んでいるようだ」という想いもあり、後述の「火事除け」の願いから『水』を連想させるデザインが多用されるようになります。

江戸での瓦の消費が増えた事で、三州(現在の愛知県高浜市や碧南市などの西三河地方)では瓦の生産が急増しました。これは、西三河地方を流れる矢作川河口域で良質な粘土が採れた事と、海運によって大消費地江戸へと瓦を運べた地の利によるものでした。こうした背景から三州は瓦の一大産地となり、多くの瓦職人、鬼瓦職人が切磋琢磨する状況が生まれました。

現在でも「三州瓦」は国内の瓦シェア6~7割を誇る日本一の瓦の産地です。

~吉宗、火事除け、水~

瓦が一般に広まったのは、「暴れん坊将軍」でおなじみの徳川八代将軍吉宗の時代。それまでの屋根は板に重しの石を乗せただけの簡素なものでした。木造の日本建築で最もおそれられたのは火事であり、実際「火事と喧嘩は江戸の華」と言われた程、江戸の街は度々大火に見舞われました。そこで、火の粉による屋根からの延焼を防ぐため、将軍吉宗が不燃材である瓦屋根を推奨し、トップダウンで爆発的に瓦が広まります。

そのため、鬼瓦には「火事除け」の願いから、雲、波、若草、菊などの「水」を連想させるデザインが多くあります。お城の屋根に「シャチホコ」が乗っているのも、「水」を連想させるからなのです。

~同じデザインを、同じ職人が、同じ工程で制作する~

屋根に乗る大きな鬼瓦は、模様の起伏も大きくなります。

そのため、「雲」などのデザインは手前を大きくすることで前にせり出すような迫力が出ます。

金型や石膏型に土を流し込んで造る量産品では、型から外すための「抜き勾配」が必要なため、手前に向かって小さくなります。

卓上鬼瓦~結銀~は、成形の全行程を職人の手仕事により行うため、「雲」のせり出しは見所の一つです。